保険相談できる窓口(保険ショップ)が増えた理由

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昔は訪問販売が主流だった

昔は保険会社の営業マンが各家庭や会社、商店を回って保険を販売するスタイルが主流でした。足で稼ぐ典型的な営業スタイルです。今50代以上の人であれば会社で加入した人も多いと思います。

しかし現在は会社に保険の営業マン(生保レディ)がきて保険の販売をするなんてことは考えられません。家庭訪問営業も聞いたことがありません。

しかしそのままではインターネットで販売する以外の販売方法がなくなってしまい、保険会社は経営が難しくなってしまいます。

1999年保険ショップが誕生

そこで保険販売拡大を狙って様々な保険を比較できる保険ショップを保険クリニックが出店しました。

保険代理店の場合は自社で取り扱っている保険しか扱えなかったのが、保険ショップの場合は複数の保険会社の商品から比較検討ができたので、保険加入を考えている人にとっては都合のいい販売スタイルでした。

※一社専従の来店型保険ショップとしては保険ほっとラインがアフラックサービスショップとして1998年3月に日本初出店しています。

保険ショップ登場時の一番の問題

保険は今まで訪問販売が主流だったので、「保険契約をしに保険ショップにわざわざ行くのか」という問題がありました。総じて保険は受け身で加入するもので、積極的に自分から探して加入する人は少なかったからです。

バブル崩壊の影響

1991年~1993年のバブル崩壊から数年経ち、所得が減ってきたことで家計が圧迫され始めると、保険を見直したい人が増え始めると保険ショップに行く人も増えるようになりました。

1996年保険業界自由化

大きな改正は以下の二つです。

生保損保相互参入の許可

生保相互参入の許可の改正が行われたことで、同一グループで生命保険と損害保険を扱えるようになりました。

損害保険分野の自由化

損害保険分野の自由化で自動車保険の自由化によって保険料率を各社が自由に決められるようになりました。これによって保険の値下がりが始まりました。しかし下がる一方では保険会社もつぶれてしまいます。そこである程度下がったところで、事故を起こす確率の低い人ほど保険料を安くする、リスク細分化型の保険料が採用されるようになりました。

その他の自由化の影響

外資系参入で保険商品が増えました。さらに値段勝負だけではなく、リスク細分化に代表される各社オリジナルの商品も増えて選択肢が一気に増えました。

2002年代理店業務解禁

銀行業、保険業、証券の各代理業が解禁となりました。銀行の窓口販売が解禁されたことで一気に保険募集も拡大していきました。

保険ショップが根付いていった

代理店が複数の保険商品を扱えるようになったことをきっかけに保険ショップができ、バブル崩壊の影響が出始めた頃から徐々に足を運ぶ人が増え、今では日本全国に多くの保険ショップが営業することになりました。

保険業法緩和で保険が複雑化したことが後押し

更に保険会社が増え、外資系も入ってきたことで保健の種類が増え、加入方法なども増えてきて複雑化が始まりました。それまではどこで入っても同じような保険ばかりだったので、悩む必要もありませんでした。しかし複雑化したことで、複数の保険に加入すると補償が被ってしまったり、保険料が無駄に高くなってしまったりと保険に詳しくないと把握できない状況を招くことも。

これによって保険ショップで詳しい人に聞くことで無駄な保険加入をさけ、欲しい補償をミニマムで組むことができるようになりました。

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